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2009.03.04

有田焼とは・・・という質問

店の買い取りでも取扱があり、個人的にも購入させてもらった事のある窯の方と、売る側買う側ではなく、お話をする機会がありました。

で、不躾ながらも幾つかの質問をしてみました。

Q(私):鍋島など、精緻なもの、天目など見たまんますごいとわかるものが好きですが、お茶の世界のゆがんだような陶磁器はイマイチ理解できません。

A:それで正解。お茶の世界では真のやきもの と 草のやきもの とがあり、千利休も若いうちから草のやきものに目覚めたのは50歳から。
真を理解せずに草から入るのはX。
(私の理解が間違っていたらゴメンナサイ)

(要するに私は途上ということなのだ。ふむふむ)

Q:やきものは産地が重要と思いますが、泉山の磁石がほとんど採れず、有田の材料を使わないのが現状ですが、有田焼とは何か等を考えたりしますか?
有田の材料を使わなくても、伝統的な柄ではなくても、有田はやはり有田らしさを感じますが、
各専門の職人の層の厚さが有田の魅力なのかなと思うのですが・・・

A:有田焼とは等という事は作成時には特に考えません。
私たちがいる日展という世界は、新しいものが評価される世界なので、今右衛門、柿右衛門さんのような伝統的な世界にいるわけではありませんので、材料などにそこまでこだわる事はありません。
使う道具が、他の地域と違うので、(例えば花瓶に突っ込む棒とか・・・)有田らしさを感じるとるれば、使う道具からかもしれませんね。
有田の職人さんには轆轤至上主義みたいなものがあって、轆轤を使わない四角い物等は評価しない風潮がありますが、私たちは四角いものも作ったりもします。

共通の認識として、
転写(プリント)でも、良いものはいいし、手造りでも悪いものは悪い。
伝統工芸の伝統とは、過去の形を真似る事が伝統ではなく、よいものを作りたいという気持ちの世代を超えた繋がりが伝統

私の勝手な解釈も結構入っているかもしれませんが、
日頃の疑問を陶磁器を作成されている当事者の方にぶつけられたのはとてもいい機会でした。
お茶のゆがんだ陶磁器が理解できない理由もわかりましたし、
轆轤至上主義道具の使い方とか、工程とかもっと知りたくなりました。
有田を意識せず、自分の技量を研鑽する姿勢は若い頃はそちらの方がむしろ自然なことではなかなとも思いました。
これからの活躍に期待しております!

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つぶやき 陶磁器編」カテゴリの記事

コメント

先日は有り難うございました。
誤解を産む表現をしてしまったので、私の意見を一箇所だけ、訂正します。茶陶など草の焼物は最初はわかりにくいと説明したつもりが、最初は真から入らなくてはダメとつたってしまい反省しています。
日本語は分かりにくいですね。

初めから草の陶芸にいく人も勿論います。草は人間の思想や個性だと解釈して下さい。真は黄金比などの法則を追求した焼き物です。
どちらが良い悪いではなく、好みです。

初めから、真からくずしていって、草にいくひとと、それではルールにしばられると、いきなり自由奔放に草を追求するひとがいます。
説明したかったのはこういうことでした。
すみませんでした。

要するに、真の陶芸は宇宙を表し、草の陶芸は大地のうねりに向かうと表現されています。
硬い文章で、すみません。

コメントありがとうございます。

>どちらが良い悪いではなく、好みです。
確かにそうですね。
どちらが高い感性を必要とするかといえば、草の方なのかなと思います。
私にも、草のよさがわかる日がくるといいなと思っています。

中国、ヨーロッパ、どちらも焼き物は磁器が価値が高いものとされ、高い技術を精緻なものほど良しとされていますが、
日本ではそうではありません。そこに、日本のやきものの世界の奥深さ、日本人の感性の豊かさを感じています。

また、いろいろとお話を聞かせてください。

よきものを理解する感性を私たちは
心奥の美境(しんおうのびきょう)と名付けています。
渕上さんなら極めれますよ。大丈夫です(笑)
作品の魅力は鑑賞する方が作者も意図しない
魅力を発見することがあるのが面白いとこです。

感性なんですよね。
理屈や、理論ではないので、
身につける方法が明確にないのが難しいですが、
五感の感度を高めて、季節を感じたり、自然を愛でたり、音楽を楽しんだり
そうやって感受性を高めていけばいいのかなぁと思っています。
まぁ、そういう感性というものは人生を豊かにするものだと思いますので、難しく考えず楽しく身につけていければと思っています。

難しく考えなくても、そうして偶然できる美の面白さのことを侘び寂びというらしいです。
(京都の美術館の管理人さんの話)

正確に言うと、侘び寂びは、簡単にも、難しくも、どちらでも説明ができるそうです。

それだけ、幅が広い文化だそうです。

何もかもが商品になり、刺激に溢れすぎている現代社会では意識的にそういったものから距離を置き、耳をそばだてる、語感を働かせる、そういった感度が必要とされる高度な美学なのだろうというのが、現在の感想ですね。

流石ですね。
うまい解釈ですね。
御見事です。

今回の出張では、ご紹介いただいた本を読みつつ、いろいろなものを見聞きする機会があり、そんな事をいろいろと考えておりました。ありがとうございました。

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