深雲古寺鐘
今日の禅語・・・ 明日があるというわけではありませんが・・・
流水寒山路 と、セットになっているらしい・・・
流水寒山路
深雲古寺鐘
人の気配を全然感じない山道でも、どこからか鐘の音が聞こえてくれば、なんだかじんわり来るってことか?
鐘は聞かせる、知らせるために鳴らしているんだろうし、その鐘の音を聞いている人がいるってことは、鳴らし手と、聞き手の関係性があるのだと思う・・・
単なる自然の情景ではなく、音を鳴らしている人、それを聞いているの存在があるのだから、メインのテーマは「人」なんだろうと思うんだけどなぁ・・・
ネットで意味を調べてみたらどうも違う。
きっと私の感性がズレているんだろう・・・
でも、百人一様の解釈ほど面白くないものはないんだから、ああでもない、こうでもないと考えることも面白いかもしれない。
ちなみに・・・
絶海中津というお坊さんが書いた、『蕉堅稿』という詩文集に書かれたんだそうな。
絶海中津さんという方は、臨済宗のお坊さんで、足利義満の命を受けたり、対立し追跡を受けたりした人らしい。
南北朝~室町時代に生きた人なんだね。
日本史好んで勉強してきたわけではないので、知らないことばっかりだ。
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