西部伝統工芸展メモ
ざざざっと拝見してきました。
本会場はどでかい作品がぞろぞろあって、
面白味が無いと言ったらアレですが、
デカさに価値を見出す時代ではなくなって久しいのに、何故大きい作品が多いのか?
大きさの中にいろいろ表現を込めれるのかもしれないけれど、小ささの中に込められた表現の方が個人的には奥行きを感じる。
だから、とんでもない表現技法が込められた、湯呑が入選してもいいんじゃなかろうかと…
大きさを競うなら、明治伊万里のように、大きさを極めたものがあっても面白いんじゃないかとか?・・・
ある程度の制約の中での源泉な気もしますので、その辺の事はわからないうえでの発言にはなりますが…
隣の会場で課題展を行っていて、そこはカレー皿や、組皿等、いくつかの課題に合わせて、各作家さんが食器などを作ったものが並べられています。
本会場より、断然面白いのはこちら(笑)。
本会場
今回、ちょっと照明が抑え目だった気がします。
抑え目な照明というのはとてもいいと思いました。
ざっと感想
十四代今泉今右衛門さん
筆の要素を削っている、「赤」もない。黒、緑、プラチナ、墨はじきで、表現。
鍋島からいかに離れながらも鍋島であるかを模索しているのか、
それとも、どこまでやればイエローカードが出るのかな?と、見る側を挑発しているのか…
作品の良さはいまいち感じなかったけれども、作者の前衛的な姿勢は素晴らしいと思う。
「どう感じてよいかわからない」そう思わせただけでも、作品に何かメッセージ性があるという事であり、
当代の今右衛門さんは、間違いなく、職人ではなく作家。
そう、物議を醸しだす、現代アートのアーティストと同じ姿勢なのだろうと思う。
「これはダメでしょ」 vs 「いやいや、この作品の真価はここにあるんだって」
という論争が巻き起こらないアートほど退屈なものは無いので、今後もガンガン行ってほしい・・・
中村清吾さん
かつて賞をとった、鉢が二つくっついたような形の進化系。
あの作品があってこその今回の作品。
庄村久喜さん
白妙磁。白のみの表現の中に、釉薬の濃淡、影の濃淡・・・
計算された精緻な作品。
今後は、個人的には計算されたものと、偶然性が同居した、いや、偶然性の方に比重を置いた作品を見てみたい。
奥川俊右衛門さん 白磁鎬文花器
鎬とあるが、削っているのだろうか?
轆轤ひいて、柔らかいうちにギザギザに変形したんじゃなかろうかと思われるんだけど…
赤間厚子さん 和紙染幾何学文
今回、一番印象に残ったのがこの方の食器と作品。
淡くて、繊細で、リズムがあって、何よりカワイイ。
古臭い感覚のまま作品作りをしている人が大勢ある中、輝いていました。
福岡の作家さんだという事も嬉しいですね。
時代感覚を作品に込めていくというのは、とても大事な事だろうと思う。
帰宅後、ちょっと調べてみると、
井上萬ニ先生に師事されたとの事。
熊本の津金日人夢さんも有田の窯業学校の出ですが、私はどうやら、有田焼DNAを持つ作家さんの作品が好きなようで… というのを再確認。
有田焼は、すごいんだぞ、楽しいんだぞ。
というところも、もっと発信しろということか??(笑)
初代奥川忠右衛門さんの作品も展示されていました。
「白磁輪花鉢」
これがあっての、井上萬二さんの輪花鉢なんだなと初めて分かった。
「ドヤッ!」っていう、凄みのある作品だった・・・
現代の作品と比べると、荒削りだったりするところもありますが、
作品としての存在感は、他を圧倒するところがありました。
作者のどうだ!というような気迫が伝わってくるような作品でした。
皆さんにも紹介したいですが、写真は撮れませんし、是非、足を運んで見てみてください。
自分が表現したいものと、時代が求めるものその二つがうまい感じにリンクしたものが、その時代を代表する作品になっていくのかな?
と、ふとそんなことを思いました。
あの時代は、あれで正解。
っていうか、やっぱ忠右衛門さんはすごいし、欲しいなって思わせるものがありますね(笑)。
現代で同じものを頑張っても少し時代感覚がずれたものになるから、現代の作家さんはまた別の表現方法で世に作品を出していくものなのかな?と・・・
そういう生みの苦しみはあるのだろうと思います。
そこで、思考停止してしまうと、職人さんになってしまうわけで、
作家さんであるからには、やっぱり、思考はとても大事な事かなと…
本会場はどでかい作品がぞろぞろあって、
面白味が無いと言ったらアレですが、
デカさに価値を見出す時代ではなくなって久しいのに、何故大きい作品が多いのか?
大きさの中にいろいろ表現を込めれるのかもしれないけれど、小ささの中に込められた表現の方が個人的には奥行きを感じる。
だから、とんでもない表現技法が込められた、湯呑が入選してもいいんじゃなかろうかと…
大きさを競うなら、明治伊万里のように、大きさを極めたものがあっても面白いんじゃないかとか?・・・
ある程度の制約の中での源泉な気もしますので、その辺の事はわからないうえでの発言にはなりますが…
隣の会場で課題展を行っていて、そこはカレー皿や、組皿等、いくつかの課題に合わせて、各作家さんが食器などを作ったものが並べられています。
本会場より、断然面白いのはこちら(笑)。
本会場
今回、ちょっと照明が抑え目だった気がします。
抑え目な照明というのはとてもいいと思いました。
ざっと感想
十四代今泉今右衛門さん
筆の要素を削っている、「赤」もない。黒、緑、プラチナ、墨はじきで、表現。
鍋島からいかに離れながらも鍋島であるかを模索しているのか、
それとも、どこまでやればイエローカードが出るのかな?と、見る側を挑発しているのか…
作品の良さはいまいち感じなかったけれども、作者の前衛的な姿勢は素晴らしいと思う。
「どう感じてよいかわからない」そう思わせただけでも、作品に何かメッセージ性があるという事であり、
当代の今右衛門さんは、間違いなく、職人ではなく作家。
そう、物議を醸しだす、現代アートのアーティストと同じ姿勢なのだろうと思う。
「これはダメでしょ」 vs 「いやいや、この作品の真価はここにあるんだって」
という論争が巻き起こらないアートほど退屈なものは無いので、今後もガンガン行ってほしい・・・
中村清吾さん
かつて賞をとった、鉢が二つくっついたような形の進化系。
あの作品があってこその今回の作品。
庄村久喜さん
白妙磁。白のみの表現の中に、釉薬の濃淡、影の濃淡・・・
計算された精緻な作品。
今後は、個人的には計算されたものと、偶然性が同居した、いや、偶然性の方に比重を置いた作品を見てみたい。
奥川俊右衛門さん 白磁鎬文花器
鎬とあるが、削っているのだろうか?
轆轤ひいて、柔らかいうちにギザギザに変形したんじゃなかろうかと思われるんだけど…
赤間厚子さん 和紙染幾何学文
今回、一番印象に残ったのがこの方の食器と作品。
淡くて、繊細で、リズムがあって、何よりカワイイ。
古臭い感覚のまま作品作りをしている人が大勢ある中、輝いていました。
福岡の作家さんだという事も嬉しいですね。
時代感覚を作品に込めていくというのは、とても大事な事だろうと思う。
帰宅後、ちょっと調べてみると、
井上萬ニ先生に師事されたとの事。
熊本の津金日人夢さんも有田の窯業学校の出ですが、私はどうやら、有田焼DNAを持つ作家さんの作品が好きなようで… というのを再確認。
有田焼は、すごいんだぞ、楽しいんだぞ。
というところも、もっと発信しろということか??(笑)
初代奥川忠右衛門さんの作品も展示されていました。
「白磁輪花鉢」
これがあっての、井上萬二さんの輪花鉢なんだなと初めて分かった。
「ドヤッ!」っていう、凄みのある作品だった・・・
現代の作品と比べると、荒削りだったりするところもありますが、
作品としての存在感は、他を圧倒するところがありました。
作者のどうだ!というような気迫が伝わってくるような作品でした。
皆さんにも紹介したいですが、写真は撮れませんし、是非、足を運んで見てみてください。
自分が表現したいものと、時代が求めるものその二つがうまい感じにリンクしたものが、その時代を代表する作品になっていくのかな?
と、ふとそんなことを思いました。
あの時代は、あれで正解。
っていうか、やっぱ忠右衛門さんはすごいし、欲しいなって思わせるものがありますね(笑)。
現代で同じものを頑張っても少し時代感覚がずれたものになるから、現代の作家さんはまた別の表現方法で世に作品を出していくものなのかな?と・・・
そういう生みの苦しみはあるのだろうと思います。
そこで、思考停止してしまうと、職人さんになってしまうわけで、
作家さんであるからには、やっぱり、思考はとても大事な事かなと…
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