2013.03.31

日本のデザイン 原研哉著 読書途中 感想文 その1


久しぶりに、読書らしい読書中・・・

いろんなヒントが散りばめられているのでメモ的に・・・


大量生産、大量消費社会のピークを体験し、加えて東日本大震災という大きな喪失を体験した我々日本人が、今後どっちの方向を向いて生きていくか、モノとどう向き合っていくか、他の国々では到達しえていないこの感覚をどう世界に発信していくのか的な内容と受け止めて読んでいます。

様々なヒントが散りばめられているので、脱線しながら読み進めよう。

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プロテスタントは労働を肯定し、それが産業革命、資本主義の発展に結びついたように、

日本の仏教の禅も、日々の労働からでも悟りの境地に立てる、という労働を肯定する思想的背景があったからこそ、近代化の大波に乗ることができたのだろうと思う。

多くの宗教が、精神の向上と、労働を切り離している。
罪の贖罪としての労働であったり等。

更に、お金を得るための仕事だけでなく、禅は掃除などの日々の繰り返しも悟りにつながると重要視している点は、思想的インフラとしては、日本が、世界に誇れるものではないだろうか?

清掃は、指示されてするものや、お金を得るために行うものではなく、やって当然という思想的な基盤があれば、都市の美観も保てる。美観を維持するための社会的なコストもかからない。

自分たちの教室は自分たちで清掃するという学校教育は当たり前と思っていたが、海外では違っていたりするらしい。
掃除までしなきゃいけない日本の学校教育は云々的な意見をネットの何処かで見た気もするが、公共の場所を皆で掃除をしようという思想は世界に誇っていいと思う。
(世界を知っているわけではないんですが・・・)

あらためて、禅とは何であるかを日本人が再認識するときに来ているような気もする。

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追記:発言小町 生徒が学校の掃除をすること(海外)

やっぱりそうだ。
多くの国では、学校は清掃員が行なっているようだ。
公共物は、それを利用する皆がメンテナンスをするという学校生活が、都市の隅々の美観にもつながっているのではないだろうか?
清掃という労働を否定しない、日常の当然のことと考える日本人の思想は世界に誇っていいような気もする。

とか、エラソーに書く前に、店の大量の在庫をきちんと整理整頓せねば~

その2

2012.11.01

その先に

手順を覚えるまではそれだけで頭いっぱい

手順を覚えてきたら、形がうまく決まっているかで頭いっぱい

そこを乗り越えたら、間合いというか、呼吸というか、空気感というか そういう部分にも少しは意識が届く。

なんとなくそういう感覚が掴めてる気がするので、

次回は、他の人がいらっしゃる中でそういう意識をキープできるかが課題かな?

量は質に転化する。

才能ないんだから、繰り返し繰り返し練習することでしか、質を高めていくことが出来ない。

それを肝に銘じて、今日も、明日もがんばろう。

2012.10.25

フラット

余計なことは考えないほうがいいのだろう。

情報過多、考えすぎなので、座禅もしたいとか思ったりもするけれど、

とりあえず、習慣になるまでひたすら繰り返し。

2012.10.23

向きを変えてみた。

祖父と対話するイメージで・・・

ひとりよがりではなく、相手があって成り立つものだろうから、

その辺が人間的にも未熟な自分は、そういう間合いも練習を積み上げていかないといけないと思う。

2012.10.19

習慣大事

とりあえず、今日もこなせた。
自転車なんかもそうだけど、動き始めが一番エネルギーが必要で、
動き始めたらそこまでのエネルギーは要らない。

とにかく、繰り返し繰り返し行なって、歯磨きレベルの習慣にするために、体に叩きこまないとなーと思う。
一旦止まった時の事を想像するとちょっと怖いので・・・
可能ならば、朝晩練習して、基本レベルと、上達の度合いを高めていきたいが、これ以外にもやりたいこといっぱいあるので、欲張らないようにしよう。
とにかく毎日の繰り返しを忘れないように・・・

2012.10.18

深雲古寺鐘

今日の禅語・・・ 明日があるというわけではありませんが・・・


流水寒山路 と、セットになっているらしい・・・


流水寒山路
深雲古寺鐘


人の気配を全然感じない山道でも、どこからか鐘の音が聞こえてくれば、なんだかじんわり来るってことか?

鐘は聞かせる、知らせるために鳴らしているんだろうし、その鐘の音を聞いている人がいるってことは、鳴らし手と、聞き手の関係性があるのだと思う・・・

単なる自然の情景ではなく、音を鳴らしている人、それを聞いているの存在があるのだから、メインのテーマは「人」なんだろうと思うんだけどなぁ・・・

ネットで意味を調べてみたらどうも違う。

きっと私の感性がズレているんだろう・・・
でも、百人一様の解釈ほど面白くないものはないんだから、ああでもない、こうでもないと考えることも面白いかもしれない。

ちなみに・・・
絶海中津というお坊さんが書いた、『蕉堅稿』という詩文集に書かれたんだそうな。
絶海中津さんという方は、臨済宗のお坊さんで、足利義満の命を受けたり、対立し追跡を受けたりした人らしい。
南北朝~室町時代に生きた人なんだね。
日本史好んで勉強してきたわけではないので、知らないことばっかりだ。

2012.10.15

すぐ忘れる

毎日繰り返そうというと思っていながらも、朝から忙しかったりすると、すぐ実行に移せなくなる。

でも、それは言い訳で、
毎日歯を磨いたり、食事をしたりしているわけで、
そう考えると、これをこなさなきゃ、どうも具合が悪いという感じにまでは至っていない。

まぁ、それは当然なんだけど、そのレベルにならないだろうか・・・
そうなれば、きっと毎日毎日の継続ができるはず・・・・
まぁ、とにかく繰り返しの力を盲目的に信じるしかない。

2012.10.11

目的

とりあえず、茶道を1年ちょっと続けてみたが、なんとか続いている。

途中、サボリ気味の時期もあったけれど、

作法?お点前?を覚えることを目的ではなく、

毎日少しでも練習することを続ける事を目的にするという事を明確にしたら、なんだか吹っ切れた。

覚えが悪くても気にしない。

稽古に行く時間が無くても気にしない。

それよりも、繰り返し繰り返し自分で練習すれば、質そのものが上がっていくだろうということ。

まぁ、ホント初心者レベルなのでエラソーな事は言えないけれど、

初心者でしか感じることができないこともあるだろうから、

とりあえず、ここに書いとこう。


覚えが悪い、知識のレベルが低い、スタートが遅いと、くよくよ考えても仕方がない。

とにかく、次の一歩を進むだけと割り切れば気が楽になる。

自分の実力を不安に思うことよりも、明日もちゃんと練習できるかどうかを心配した方がいい。

そんなことを思った。

ついつい、こんなことをやって意味あるのかな?とか、考えちゃうけど、

とにかく、明日も1分でもいいから練習できればそれで目的達成ってことで・・・

2012.10.09

習慣大事

何かのタイミングで、一度サボると一瞬でそれに慣れてしまう。

動いている歯車を回すことはそう大変ではないけれど、一度止まった歯車を回し出すのは結構負荷がかかる。

いかに、毎日続けることが大切かを思い知らされます。

2012.09.16

習慣大事

基本やることが沢山あるので、自分で稽古の時間を作るしかない。

一旦サボると、恐ろしいことに、やらないことが普通になってくる。

とにかく、繰り返し繰り返しやって、頭ではなく、身体に叩きこむ必要があると思うので、毎日必須と思いつつ、サボってしまう。

まあ、でも数ヶ月のサボり期間から脱出できただけでも良かった。

過ぎてしまった時間は戻ってこないので、これからの時間を大切にしていきたい。

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